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時代とOKI

第16回 OA事業部のアイディア商品「かわら版」

1982年(昭和57年)に発表された「経営体質改善計画PARTII」で、OKIはOA事業への本格参入を初めて宣言します。当初OA事業は苦戦を強いられました。しかし1983年(昭和58年)12月に、ホワイトボードに書いた文字や図形を出力できる電子黒板「かわら版」を発表すると、瞬く間に人気に。OA事業の販路拡大に貢献します。

OA事業への船出

OA(Office Automation)という発想は、1970年代にコンピューターが急速な進展を続ける中で、「いずれオフィスはすべて電子化され、ペーパーレスの時代になる」といった一種の夢物語として語られていました。実際にOAという言葉がビジネスの世界に登場するのは、1980年代に入ってからといえます。オフィスコンピューターの登場・普及によって、端末からデータを入力して、事務処理の一部をコンピューターに任せられるようになったからです。また、オフィスにワードプロセッサー(ワープロ)やプリンタが導入されるようになったことも大きなトピックとなりました。

こうした流れにあって、OKIにおいてOAという事業領域が設定されたのは、1982年(昭和57年)に発表された「経営体質改善計画PARTII」でした。同年度のOA事業部のミッションで「収益化への挑戦」を掲げ、通信端末、ファクシミリ、OAといったビジネスユニットが設定されます。このころのOA事業の中心は、パソコン、ワープロ、オフコンを擁したOAビジネスユニットでした。ただ、収益にはなかなか結びつきませんでした。というのも、1982年(昭和57年)に日本電気が発売した「PC-9801」が、瞬く間にわが国におけるパソコンのデファクト・スタンダードの地位を築き上げてしまったからです。

社員の本音から生まれた電子黒板「かわら版」


全く新しい発想の商品となった電子黒板
「かわら版」

苦い船出となったOA事業部でしたが、メンバーたちは新風を吹き込もうという意欲に溢れていました。その中で電子黒板「かわら版」が誕生します。きっかけとなったのは、1982年(昭和57年)10月にOA事業部内で「ジャンプアッププラン」と称して実施された新商品のアイディア募集でした。メンバーの1人が「会議などで模造紙を使い、会議が終わったあとに、それをすぐにコピーして議事録のかわりにする、というわずらわしさをなんとかできないだろうか」と提案、「それならホワイトボードにコピー機能を付加しては」との発想につながりました。

早速、翌月から試作はスタート。ファクシミリの開発でアドバンテージを有していたOKIにとって、読み取りと印字技術が応用できるため開発は容易そうに思えました。しかし、実際には難問が待ち構えていました。最初の課題は、ホワイトボードと同じように書いたり消したりできる移動式のシートを5面分、しわやゆがみの出ないようにヨコに走らせることでした。タテに走らせるのは簡単でしたが、0.95m×8.5mのシートをヨコに走らせるのは、予想以上に困難だったのです。もう1つは、わずかな振動で光軸がずれてしまうと原稿が読み取れないという課題。結局、振動に耐えられるフレームを一から作ることになります。

開発期間1年間、ほとんど休みなく開発にあたり試作品は完成。ところが発表の10日前にシートがうまく走行しないというアクシデントが発生します。全員不眠不休で問題解決に当たり、原因が究明できたのは発表4日前という難局を乗り越え、新製品「かわら版」は発表会場へ送り出されます。安堵と不安が入りまじる中での船出でした。

日本企業にとっての「かわら版」のインパクト

他社に先駆けて開発した「かわら版」(75万円)は、1983年(昭和58年)12月に発表以来、ユニークなアイディアが受けて順調な売れ行きをみせました。移動式のシート5面のうち4面は画面と同じものがA4用紙に出力でき、枚数も1回で99枚までコピーできました。
「かわら版」は、まず企業の会議で大きな評判を呼びました。それは「かわら版」が日本の企業文化に根差したOA機器であったからに他なりません。社員のコンセンサスを重んじる日本企業では頻繁に会議が行われます。当然、会議では情報共有が重要ですが、黒板はそのための大切な媒体でした。

これまでは話し手が黒板に書く情報を聞き手がノートやメモに写し取ることが必要でした。結果として考える時間がなかったり、発言する機会を失ってしまうケースも出てきます。この課題を「かわら版」が根本から解決したのです。その後、現場の作業指示に、またカルチャースクールや各種教室など幅広い分野で拡がっていきます。

当初は出荷も好調でしたが、他メーカーの参入が相次ぐと価格競争は激化。OKIも低価格の「かわら版太郎」(49万円)、「かわら版次郎」(39万8,000円)を発表して対抗するなど、苦戦を余儀なくされる結果となります。

とはいえ、OKIはこの「かわら版」の販売を通じて、文具メーカーをはじめ多くの販売チャネルを開拓することができました。その資産は、後のOA事業に引き継がれていくのです。

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